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ZEPHYR-Wright

キロンの物語 桜餅

桜餅part.4 (キロンの物語1)

 弁護士に指定された面談会場で、ようやく夫に再会することができた。

 すぐに土下座した。一緒に来た両親も。

 決壊したように涙があふれ、みるみる床に水たまりを作った。

 わたしは自分が何をしゃべっているのかも、よくわからないほどだった。懺悔の言葉と許しを請う言葉を、えんえんと繰り返し吐いた。叫ぶように。

 どうか捨てないでほしい。なんでもする。一生かけて償います。

 しかし、夫は「お義父さん、お義母さんが謝る必要はないです。頭を上げてください。ちゃんと話をしましょう」といった。

 何日かぶりで聞く夫の声は、驚くほど冷静だった。いや、冷静というよりも、まるで心ここにあらずというような。

 夫は落ちくぼんだ目に、なんともいえない影を映していた。痩せていた。ガリガリだ。ぼーっとしているように見えた。その姿は、あの切り刻まれたベッドとはどうしても結びつかなかった。怒り狂った罵倒を浴びる覚悟で来たのだ。

 弁護士が冷静な言葉で、その後を進行させた。事情聴取され、事実の確認が行われた。嗚咽でうまくしゃべれなかったが、正直に何もかも語った。

「ここ数ヶ月の不貞の証拠があります。こちらでわかっていることとの矛盾はないようですね」

 やはりそうだったのだ――

 いくつかの書類にサインを求められ、同時に離婚が提示された。わたしへ慰謝料請求をしない。共有財産の分与はあり。わたしが将来にわたって負担すべき娘への養育費なし。ただし、子供の親権は夫――。


「お願いです。離婚だけは許してください。いやです。亜弥とも離れたくない……」

 弁護士は有責配偶者であるわたしが拒絶しても、裁判になれば離婚は確定するといった。

 父がそこで再び土下座した。

「聡史君、すまん! 本当に申し訳ない! 私たちの教育が悪かったと思う。慰謝料も養育費もなしという話だったが、頼む! ちゃんと慰謝料を払わせてくれ。できるかぎりのことをさせてもらう。だから――だから、もう一度だけ、娘にチャンスを与えてくれないか」

「お願いします!」 

 わたしも土下座した。母も床に手をつき、泣きながら懇願してくれた。

「やめてください。顔を上げてください」

 物憂げに夫はいった。弁護士にもいわれ、わたしたちももう一度席に戻った。

「離婚させてください。お願いします」

 逆に夫から請われた。

「もう無理です」

 うつろな目をしていた。

 そして語った。

 わたしの浮気に気づいたきっかけは、共通の知人からの目撃情報だったらしい。ホテルから出てきたのがわたしに見えたと(これが、不倫のごく初期の頃だった)。

 信じられなかったが、わたしのことを信じたくて、悪いと思いながら少しずつ調べた。自分に対しては着用することもない、わたしの下着に派手なものが増えたこと。外出が増えたこと。いつも携帯電話のメールばかりしていること。その携帯を以前はリビングに放置していたのに、風呂場や洗面所にまで持って行くこと(携帯はロックしていたので見られていなかったし、わたしは明山とのメールや通話記録はすぐに削除していた)。

 出張がちだったため、決定的な証拠をなかなか見つけられなかった。結果、半年もかかってしまった。

 3ヶ月前、とうとう夫は出張と偽り、わたしの行動を確認したのだと打ち明けた。知らず、わたしは明山と会っていた。わたしの不貞にもひどいショックを受けたが、相手が大学時代の友人だったことで、さらに深く傷ついた。

 その後は弁護士に相談し、興信所にも依頼した。お金はやがて戸建てを購入するときのために二人で貯めていた資金を使った。

 出張で家を空けるたび、気が狂いそうになった。

 わたしの手で作る食事が汚らわしく思え、いつも吐いていた。

 3回程度、はっきりとした不貞の証拠があったほうがいいといわれ、待ち続けた。その間に、自分の中にあった愛情がカラカラに乾いてしまった。家に帰ると、何事もなかったように振る舞うわたしがいて、それを見続けているうち、あるとき、自分の愛した女性はもうこの世にはいないと思った。すると嫉妬とか怒りとかも、もうあまり感じなくなってしまい、だから、あの家に戻っても、なんとか平然と振る舞えた。

 ――もうこの世にはいない。

 その言葉に打ちのめされるとともに、自分がいかに夫を長く、深く傷つけ続けていたか知った。罪悪感と自己嫌悪で胸が押しつぶされそうだった。


 娘だけが唯一の救いで癒やしだったと、彼はいった。 

「お願いだから、娘を取らないでほしい。こちらに渡してほしい。娘だけが今の自分の生きがいなんだ」

 彼の言葉を聞きながら、わたしは泣き続けた。

「わたしも……娘と別れたくない。あなたとも……」

「君は亜弥が風邪で調子が悪かったときも、実家に子供を預けて明山と会っていたよね」

 特に責める口調ではなかったが、すごく痛い事実を突きつけられた。本当にどうかしている。なにをやっていたんだろう……

「こないだ、最後に君と過ごしたけれど……。あれが自分の中の最後。あれは愛情なんかじゃなかった。むしろ怒りで抱いた。申し訳なく思う。仮面の笑顔で、あんなことができてしまう自分になってしまった。本当は嫌悪感でいっぱいで、後で吐いた。もう夫婦ではいられない。無理だと思う」

 わたしは号泣した。

 壊してしまった。この人を。

 わたしが好きだったあの笑顔、声。

 それは二度と戻らないと思い知らされた。


 わたしは離婚を受け入れた。

 当然のことながら、聡史は明山にも制裁を行った。慰謝料の請求。会社の勤務中の行為もあったため、管理責任が勤め先にも問われ問題になり、退職。やはり離婚。

 その後幾度か連絡があったが、わたしは拒絶した。馬鹿な幻想はとっくに覚めていた。

 

 月に一度、亜弥に面会することは許された。

 亜弥は聡史の実家で、親御さんのサポートを受けながら育っていた。

 今、5歳。


 亜弥に面会させてもらえるときの聡史は、いつも穏やかでいてくれた。

 過去のことを何も蒸し返すこともない。けれど、時折、すごく苦しそうな表情をすることがあった。

 あの病的に痩せた状態からは回復していたが、一番体重があったときよりもかなりスリムだった。

 独り身のままだった。


 いつかもし許してもらえることがあれば――

 どうしてもそれを考えてしまう。復縁など、そんなことを考えること自体、厚かましいと思う。

 あの苦しそうな表情は、わたしがそばにいれば、あのときのことを思い出してしまうからだとわかる。

 だから、彼のためには会うのもやめた方がいい。

 でも、やはり会いたい。彼にも娘にも。

 離れられない――わたしは自分勝手だ。

 このままの状態でいい。

 聡史と亜弥の幸福を願って、少し離れたところで見守っているだけでいい。それが許されるだけで感謝だ。


 桜餅を三つも食べてしまった。

 その間にまた盛大に泣いた。

 こうなって初めてわかる。愚かだけど。


 聡史と出会って、ともに過ごして、恋をして、結婚して。

 共働きして。

 喧嘩して。

 子供が生まれ。

 百日(ももか)の祝いを両家でして。

 ハイハイやタッチでともに喜び。

 

 ああいう思い出のすべてが家族であるということなんだと。

 当たり前に朝起きて、「おはよう」といい、帰ると「おかえりなさい」といえる。

 あの思い出たちの、そのままの先に行きたかった。

 それはもうかなわない。わたしが壊してしまった。

 

 面会は毎月第二日曜。

 わたしは壁につるしてある2011年のカレンダーの前に立った。

 今日の日付、3月9日に×をつけた。

 面会の日は、3月13日――。

 

 4日後だった。




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