そうして、わたしと聡史の再構築が始まった。
まずは少しずつならしていこうということで、最初は週末だけ実家にお泊まりするようにした(これは実質的に震災直後の土日からになった)。
ご両親は寛大にもわたしを温かく迎えてくれ、結婚したての頃と同じように接してくれた。
亜弥と過ごせる時間。
家族で囲む食卓。
わたしが取り戻したくて夢にまで見た光景だ。幾度も幾度も、その当たり前の団らんの中でうれしさのあまり泣きそうになった。
だが、やはり聡史との関係は、すぐにすべては回復しなかった。
以前のような、かつての友人関係から恋人になり結婚したときの、屈託のない関係ではなくなっていた。
彼はやはり、時折すごく苦しそうだった。それは月一で会っていたとき以上に見えた。そんな彼に、わたしもどう接したらいいのかわからない。明るく振る舞っていた方がいいのか、気持ちに寄り添うようにした方がいいのか、あやまったほうがいいのか。結局、どれもできず……。
ごめんなさいと、いつも心で詫びた。
けれど、聡史は最初に自分で不安だといったような、感情の乱れはほとんど見せなかった。怒ることもないし、ほとんど苛つくこともない。
あの何もなかった時代の態度とは違っていたが、すごく普通に振る舞ってくれた。気遣いもしてくれ、当たりも柔らかだった。笑顔も見せてくれる。冗談さえいう。そんなこと、普通できるだろうか……。
そう、この再構築の時期になって、わたしは初めて考えた。
もし、自分が逆の立場で、聡史が浮気をし、わたしが許さねばならない側になったのなら、こんなふうにできただろうか、と。
絶対無理、だった。
あまりにも身勝手な考えだけれど。
わたしは聡史を信頼していた。絶対に裏切らない人だと思っていたので、もしそんなことになったら、怒りや憎しみも容易には消えなかっただろう。再構築になっても自分のコントロールなど、とてもできた自信がない。
きっと些細なことで当たり散らしたに違いない。あれが気に入らないこれが気に入らない、わたしが気持ちが荒れるのもあなたのせいだ、と。
それなのに、彼は――。
すごいと、心底感じた。
わたしは彼のことを、あらためて本当の意味で尊敬できた。自分で原因を作っておきながら、こんないい方は失礼そのものかもしれないけれど、わたしは昔以上に、毅然と律し続ける彼に恋した。前とは違う深い愛情を感じた。
たぶん大丈夫だと思うというので、ひと月もたたないうちに完全な同居に移行し、婚姻届を提出した。
伝えると、わたしの両親は手放しで喜び、すぐに聡史の実家に押しかけてきた。父も母も泣きながら彼に礼をいった。久しぶりに両家の家族での祝いをした。
婚姻届を出すタイミングで、わたしは訊いた。
「仕事、辞めたほうがいい?」
わたしが外に出ない方が、きっと聡史も安心するのではないかと考えたからだ。しかし、意外にも「いや、仕事は絶対に続けてほしい」と。
それどころか、「派遣でなく、正社員になって。そこは応援するから」とまで。
戸惑いながらも、わたしは「なら、頑張る」と応えた。
一番大きな問題は、夫婦生活だった。
完全な同居に移行した夜、わたしはあらためて彼の前で手をつき、復縁してもらったこと、受け入れてくれたことの、心からの感謝を伝えた。
彼は抱きしめてくれた。
体が震えるほどうれしかった。
けれど、できなかった。
ごめんといわれ、わたしのほうがごめんだよと泣いた。
わたしと聡史は、どちらもが奥手で、お互いが初めての相手だった。
だからこそよけいに、彼は別の誰かに汚されたわたしへの心理的抵抗が強かったのかもしれない。
それは幾度か続いた。
思い通りにならない機能に、聡史はすごく悩み、苦しんでいた。「くそっ」と、このときだけは苛立った。それは、わたしへではなく、自分に苛立っているようだった。
嫌悪感があるのなら、無理してくれなくてもいい。わたしはあなたと亜弥のそばにいられるだけで幸せです。それ以上の何も望まない。今のままで十分すぎるほど幸せです。
そういった。
そして、本当の思いを語った。
「こんなこというの、少し恥ずかしいんだけど……今ね、もう一度あなたに恋をしてる。学生時代よりもずっと強く恋してる。こんなこと、誰だってそんなにできない。それだけで、本当に幸せなの。わたし、このままずっと片思いでいいの。命を終えるまで、あなたに恋し続けるから」
苦しむ彼の背を抱いた。
彼はガバッと振り返り、わたしを抱きしめた。
もう一度、愛撫してくれた。
そして、その夜、ついに結ばれた。
おかしな話だけれど、痛かった。まるで初めての時みたいに、すごく痛かった。そういうこともあるのだと後で知ったが、出血もした。
痛みの中で、彼とつながったとき、わたしはその痛みと喜びの中でわんわん泣いた。泣きながら彼の体に思いっきりしがみついていた。
ようやく、元に戻った――いや、そうじゃない。
彼と新しい夫婦関係を築くことができた。
そうして――
ああ。
なんでだろう。
お願いです。誰か教えてください。
そうして、聡史はこの世を去った。
信じられない。
現実が受け入れられない。
8月、彼は一度入院した。彼の中学時代の友人が勤める大学病院で手術を受けた。
「大腸のポリープが大きくなっているので手術で切除します。なに、簡単なものですから、心配はいりませんよ」
その友人医師の説明に安心していたが、思いのほか手術は長かった。術後、聡史はなかなか食が戻らず、辛そうだった。
しかし、ひと月もすると以前とあまり変わらずに仕事をし、行動できるようになっていた。
彼と亜弥と、手をつないで歩く。
買い物に行く。
幼稚園の行事。
五人での日常の食事と団らん。
一つ一つの当たり前の日常に幸せを感じていた。
けれど、11月頃、再び聡史は体調を崩し、入院した。
そのときにわたしは、夫が癌であることを知らされた。8月の手術も本当は癌で、友人医師は夫から口止めされていたとのことだった。
「どうしていってくれなかったの」
病室でわたしは泣きながら訴えた。
「帰ってきてすぐ、癌になった夫の看病じゃ、かわいそうだから」
「ばか! いってよ。いくらだって看病するよ! させてよ」
「うん。これからはお願い」
抗がん剤や放射線などによる苦しい治療が始まった。
わたしは勤務時間を減らしてもらい、彼のサポートを続けた。
冬、一時的に体調は持ち直したかに思えた。しばらく家族で過ごせる時間も持つことができたが、年が明けて、病状が深刻になった。
入院。そのときに「もってひと月」という余命宣告を受けた。
わたしはショックでボロボロになりながら、亜弥を連れ、毎日のように見舞いに行った。余命宣告を越えて、春を迎えた。
夫は痩せ衰え、顔色も悪くなりながら、それでも妙に明るかった。
「桜餅、食べたいな」
そういわれて、わたしは昔聞いた聡史の実家のそばにあるというお店のを買っていった。
彼はすぐに気づいた。懐かしいな~と弱々しくいいながら、わたしが差し出すそれをたったひと口食べた。
それが彼の人生最期の食事だった。
その後、容態は急変。
「ありがとう。君ともう一度、一緒になれてよかった」
最期の言葉だった。
あの人はこの世を去った。
どうしてでしょうか。
なぜ、わたしの愛したあの人は、こんなに早く死なねばならなかったのでしょうか。
わたしがかわりに死にたかった。あの幸福の時のまま、わたしが死ねば良かった。そうしたら、わたしは満足なのに。
彼の後を追いたかった。でも、できない。亜弥がいる。
それにお腹の子がいる。
お願いです。
誰か――
誰か教えてください。
わたしのせいなのでしょうか――
- 関連記事
-
- 桜餅part.6 (キロンの物語1)
- 桜餅part.7 (キロンの物語1)
- 桜餅part.8 (キロンの物語1)