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ZEPHYR-Wright

キロンの物語 桜餅

桜餅part.8 (キロンの物語1)

 聡史はこの世を去った。


 信じられない。

 現実が受け入れられない。

 

 8月、彼は一度入院した。彼の中学時代の友人が勤める大学病院で手術を受けた。

「大腸のポリープが大きくなっているので手術で切除します。なに、簡単なものですから、心配はいりませんよ」

 その友人医師の説明に安心していたが、思いのほか手術は長かった。術後、聡史はなかなか食が戻らず、辛そうだった。

 しかし、ひと月もすると以前とあまり変わらずに仕事をし、行動できるようになっていた。

 彼と亜弥と、手をつないで歩く。

 買い物に行く。

 幼稚園の行事。

 五人での日常の食事と団らん。

 一つ一つの当たり前の日常に幸せを感じていた。

 けれど、11月頃、再び聡史は体調を崩し、入院した。

 そのときにわたしは、夫が癌であることを知らされた。8月の手術も本当は癌で、友人医師は夫から口止めされていたとのことだった。

「どうしていってくれなかったの」

 病室でわたしは泣きながら訴えた。

「帰ってきてすぐ、癌になった夫の看病じゃ、かわいそうだから」

「ばか! いってよ。いくらだって看病するよ! させてよ」

「うん。これからはお願い」

 抗がん剤や放射線などによる苦しい治療が始まった。

 わたしは勤務時間を減らしてもらい、彼のサポートを続けた。

 冬、一時的に体調は持ち直したかに思えた。しばらく家族で過ごせる時間も持つことができたが、年が明けて、病状が深刻になった。

 入院。そのときに「もってひと月」という余命宣告を受けた。

 わたしはショックでボロボロになりながら、亜弥を連れ、毎日のように見舞いに行った。余命宣告を越えて、春を迎えた。

 夫は痩せ衰え、顔色も悪くなりながら、それでも妙に明るかった。

「桜餅、食べたいな」

 そういわれて、わたしは昔聞いた聡史の実家のそばにあるというお店のを買っていった。

 彼はすぐに気づいた。懐かしいな~と弱々しくいいながら、わたしが差し出すそれをたったひと口食べた。

 それが彼の人生最期の食事だった。

 

 その後、容態は急変。

「ありがとう。君ともう一度、一緒になれてよかった」

 最期の言葉だった。


 あの人はこの世を去った。


 どうしてでしょうか。

 なぜ、わたしの愛したあの人は、こんなに早く死なねばならなかったのでしょうか。

 わたしがかわりに死にたかった。あの幸福の時のまま、わたしが死ねば良かった。そうしたら、わたしは満足なのに。

 彼の後を追いたかった。でも、できない。亜弥がいる。

 それにお腹の子がいる。


 お願いです。

 誰か――


 誰か教えてください。


 わたしのせいなのでしょうか――


 

 一年が過ぎ、わたしは社会復帰した。

 生まれた子は男の子だった。聡(さとる)と名付けた。

 妊娠と出産と育児の期間、頑張って資格を取った。夫の死後、本当に死に物狂いで努力し、医療事務の資格を取った。そのおかげと、夫の友人であった医師の紹介もあり、派遣ではなく正社員として働ける職場を得た。

 亜弥と聡は、夫のご両親が変わらずサポートしてくれ、すごく助かっている。帰る場所も変わらず、夫の実家だ。

 ご両親は子供たちをすごくかわいがってくれる。


 わたしは33歳になっていた。亜弥はこの春、小学校に上がる。

 前年の7月に生まれた下の子、聡は成長が早く、先日、自分の足で立って、少しだけ歩いた。

 子供たちの成長だけが、わたしの生きがいだった。

 

 ある日、勤め先の病院の食堂でお弁当を食べていると、近くの看護士たちのひそひそ話が耳に入った。どうやら院内のある医師と看護士の不倫についての噂のようだった。

 病院はわりとそんな話が多いと感じる。けれど、不倫はこりごりだ。

 まして、今のわたしは聡史のことが忘れられない。もうずっと恋している。

 もう生涯、あの人でいい。あの人がいい。

 生きている間に会えなくても。


 わたしは同じ人に二度、恋をした。

 決して褒められない、人には罵倒されるような経験のあげくだったけれど。

 でも、二度目のすごく強い恋のさなかに、その人を亡くしてしまった。

 子供がいなかったら、そして仕事を応援するというあの人の言葉がなければ、わたしはあのときにもうだめになっていただろう。

 子供たちのために働く。そして聡史のかわりに、子らを一人前にして独り立ちさせる。

 そのときまで、あの世でも、天国でも、なんでもいい。

 待っていてほしいと思う。

 もしかしたら彼は迷惑かもしれない。

 けれど、許してほしい。わたしは彼の元へ行って、またあのときのようになりたい。そればかり切望してしまう。

 聡史のことが好きすぎて、今でも心底愛していて、他のことはもうどうでもいい。

 自分の償いは自分の役目を果たすこと。

 それだけが今の目の前にあること。

 いい加減にはしない。絶対に。

 亜弥も、聡も、めいっぱい愛する。育てる。わたしみたいな馬鹿な過ちを犯さない子に育てる。

 子らが大きくなったときには、わたしの過ちも含め、すべてを伝えようと思う。あなたたちのお父さんが、どれだけ素晴らしい人であったか。子供たちやわたしを愛してくれていたか。

 そうして……


 それを終えたら、もういいよね?




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